2023/07/10
金は他の貴金属と比べても、輝きがほぼ変わらずさらに錆びにくい性質まで持っています。全く錆びないわけではありませんが、歴史的な調度品のような置物などにも使用されていたりと、ほぼ半永久的に輝き続けてくれる貴金属のイメージを持っている方も多いのではないでしょうか?全ての金属には固有のイオン化傾向がありますが、+の陽イオンにならない性質を持っているほど錆びにくい金属と言われています。
金は+の陽イオンになりにくいと言われており、非常に錆びにくい金属と言えます。金は他の貴金属と比べてもかなり強度のある性質をもった貴金属とも言えます。そのため、他の貴金属など混じり気のない金であるほど錆びにくいと言えますが、ジュエリーなどで「K12」や「K14」といった他の金属が混じってくるものは、錆びやすさが増していくのです。
ジュエリーなどは身体に身に着けた際に、どうしても皮脂等が付着してしまう物なので、しっかりとお手入れした方がより状態も良く維持できるでしょう。簡単なお手入れを常に欠かさなければ、金本来の輝きは確実に保つことができます。現在でも宝飾品に使用されている金は、昔の時代からも金はいろいろ身近なものに使用されてきました。
その中でも特に人間が求めていたものはやはり貴金属を作り出す錬金術でした。これは化学的な手法を用いて、卑金属をより価値の高い金属である金に変えようという試みです。人々は更にこれを変化させられればと考え、金属だけでなく人間の肉体や魂にもアプローチできるのではないか、金のように完璧な肉体へと作り替えられるのではないかと考えるようになりました。
今でも金は錆びにくいイメージがありますが、古代においても、錆びずに輝き続ける金は不老不死の象徴とされていました。古代ギリシアやエジプトが錬金術の起源だと言われておりますが、特に錬金という観点で有名な話として古代エジプトでのミイラ造りは、人間が来世で復活するための肉体を保存し後世に残すためのものだったとされています。
錬金術に対する考えもそこから来ているものと言えます。ちなみに「ミイラ」といえばツタンカーメン王のミイラをイメージする方が多いと思いますが、そのミイラに着けられたマスクには金が使われていて、金自体のイメージに不老不死のイメージを重ねていたのではないか、その象徴とされていたのではないかと推察できます。
金は現在高騰し続けておりすごく取引が増え続けております。実は日本で金が初めて発見されたのが、現在の宮城県涌谷町付近ではないかと言われています。
平安時代の歴史書「続日本紀」によると、当初749年に日本で初めての金発見となったのではないかとうたわれております。天平勝宝4年752年に国の力を一点に集中させて東大寺が建立されましたが、大仏が建立されました。その大仏にもなんと0.4トンもの金メッキが使用されています。この大仏は一大国家プロジェクトとして聖武天皇の発願により始まりました。そして749年、大仏本体が何とか形になる目処が経ちました。
しかし、金メッキを施すための0.4トンもの金の量が大きく不足します。金を確保するために、危険を伴う遣唐使の派遣も検討されていました。このタイミングで、国内にはないと思われていた金の発見を陸奥守が報告しました。現地の官人や功労者に叙位がなされたり、減税の政策が行われたりと当時の政、東大府は大歓喜し寺の大仏は鋳金されることとなります。
グルジア南部の採鉱活動の歴史は、青銅器時代初期、紀元前4000年紀にさかのぼります。エジプト人は紀元前1300年頃からヌビアで金鉱の採掘を始め、高度な技術を発展させました。実際、古代エジプトには、金についての多様な記述が残されており、金が色や純度、産地によって区別されていたことを示しています。
ローマ人が採掘技術を学んだのは、そうしたエジプトを通じて学んだと考えられており、北はウェールズから西はスペイン北西部まで、帝国全土で採掘が行われていきました。ウェールズのドラウコシでは青銅器時代に採掘が行なわれていたことを示す考古学的証拠が出ており、スペイン北西部のラス・メドゥラスでは最新の航空レーザー技術によって、これまで存在したと考えられていたよりも更に大規模な採掘活動があったことが明らかになりました。
ローマの博物学者で多作の作家である大プリニウスは、「ハッシング」と呼ばれる技法について述べています。これはローマ人によって導入されたもので、多くは離れた場所にある川から水路を引き、大量の水を使って鉱床を見つけ出します。
ローマは非常に高度な技術をもっていたため、山にいくつも穴を掘り、大量の水でその山を押し流して、金鉱を露出させることもできました。このハッシング法は、ローマで紀元前1世紀から帝国の滅亡まで用いられています。ドイツの鉱山学者ゲオルギウス・アグリコラが16世紀に書いた『デ・レ・メタリカ』に言及こそないものの、この技法は16世紀から20世紀初めまで断続的に用いられ、特にアフリカでの金鉱採掘では盛んに使われました。
日本人が海外からの輸入文物、舶来品を好むのは今に始まったことではない。古代は中国が主な相手国なので、総じて「唐物」と呼ぶ。陸奥国での金産出以降、日本からの輸出品の代表が金になった。盛唐(唐代第2期)の法制度や仏教経典などを求めて派遣された遣唐使の持参品にも砂金が加わった。平安時代に入った804年の渡航では、大使に金200両、副使に150両の金が支給されたと記録にある。この使節団に最澄や空海らの僧侶も同行しており、最澄は渡航に際し金銀数百両を授かったという。
680年代には富本銭(ふほんせん)、708年の和同開珎(わどうかいちん)と中国にならって貨幣を発行、10世紀半ばまで「皇朝十二銭」(古代日本で鋳造された銭貨の総称)が続くが、その流通は限定的であった。ところが、12世紀に宋との交易で宋銭が流入し、日本市場を席巻することになる。質の悪い大量の銭を金で買うという事態は、その後は明銭に代わるも16世紀まで続いた。
ちなみに、12~13世紀の中国での金銀比価は1対7、これに対し日本では1対4であった。その間、銭だけではなくさまざまな「唐物」が到来し日本文化の底上げに大いに貢献した。見返りとして漆器などの高級工芸品も歓迎されたが、その代償として多くの金が流出したことも間違いない。
まず、ひとくちに「金」といっても、どういったものを指すのか、金はどのような特性を持つのかをご説明いたします。金(ゴールド)とは元素記号Au、原子番号79の金属です。Auはラテン語の「光るもの」aurumに、英名のゴールド(Gold)はサンスクリット語の「輝く」にちなんだと言われています。金の特性はなんといってもその輝き。リングやネックレス、イヤリングなどジュエリーの地金に多く使用されますが、シーンや年代問わずゴージャスさを演出してくれます。この輝きの秘密は金が光の中の青だけを吸収し、その他の色は反射する、といった特性に由来します。さらに、金の展延性も他の金属にはない特性でしょう。
金は最も薄く伸ばせる金属で、1グラムで約3000メートルもの長さの金糸や、さらに極薄にした金箔を加工することも可能です。このこともリングやネックレスなど多彩なデザインを形成するのに大変適していると言われています。耐酸化性が高いため他の金属に比べ錆びづらく経年による退色・腐食が極めて少ないため、「不変の輝き」を持つこともまた大きな特性であり魅力です。
また、金そのものは非常にやわらかく傷ついたり変形しやすいため、金の融解性を活かし金パラジウムや銀、銅などの割り金(わりがね)を配合して合金にします。そうすることで普段使いに適した硬さに調整することが可能なのです。
ちなみにこの割り金の種類によって本来の金色とは異なる色相を持たせることもできます。ホワイトゴールドやイエローゴールド、ピンクゴールドなどが有名ですね。この三つのカラーが三連となったリングで有名なのがカルティエのトリニティや、ブルガリのトゥボガスシリーズなどですが、金そのものの輝きとはまた一味違った美しさを備えます。
なお、金の用途はリングやネックレス、イヤリングなどのジュエリーに留まらず、貨幣やインゴット(バー、延べ棒)など資産として、また、導電・熱性を活かした半導体ワイヤーなど工業用として、と幅広いケースで使用されています。これらは金の持つ不変性と融解性ゆえ、熱で溶かせば全てがまた別の金となる、つまり半永久的にリサイクルが可能です。
古くから貴金属として重宝されてきた金。その理由はもちろん金が持つ輝きもありますが、稀少性もまた大きいところを占めます。金は鉱石から採取されますが、鉱石1トンに対してわずか5グラムほどしか産出されません。人々が金を求めて大海原に帆を進めていた歴史を見ると、産出量問題もまた長年の悩みだったのでしょう。様々な資産形態の中で金は今後も安定している、という話を聞いたことはありませんか?先ほど国内での新たな鉱脈発見のお話をいたしましたが、そもそもの産出量の低さもあって年々減少傾向にあり、産出量が需要を大きく上回る可能性が将来的に低いためそう言われます。
しかしながら金の不変性・リサイクル可能な半永久性から、これまで産出した8割以上のものが現存しているとも言われています。ちなみに貴金属の定義として、こういった稀少性、国際的な流通性や普遍性、経年による劣化がない不変性を指すことがあります。これは金だけに留まらず銀イリジウムやプラチナ、金パラジウムやロジウムなど、リングやネックレスなどジュエリーによく使用されているおなじみの顔ぶれが並びます。
金はいつの時代も高い価値を誇ってきましたが、常に一律の価格ではありません。金の価値・価格は以下のようにして決まります。
①金の純度
K24とかK18とかいう符号を金製品で見かけたことはありませんか?これは金の純度を示すもので、カラットKaratの略称です。品位と称することもあります。金はやわらかいため合金にして硬さを調節しますが、この中の金の割合・純度が高ければ高いものほど価値を持ちます。K24は金純度99.99%のほぼ純金、インゴット(バー、延べ棒)などの資産として、また一部の国での金貨としてが主な用途。K22やK18と純度が下がるとジュエリーや高級時計などにも使用され、実用に適した堅牢性を備えますが、金としての価値は下がることとなります。金製品にはこの純度が多くの場合で刻印されているので、大きな目安になりますね。
②需要と供給
金が高い価値を持つのは稀少性、つまり供給量の少なさにあります。前述のように、人々の大きな需要を上回るほどの産出が見込める可能性は将来的に見てもかなり低いでしょう。金の美しさへの需要はもちろんですが、「金の価値」への需要が高い、という理由があります。世界的に強い円が流通している日本ではあまり実感がありませんが、情勢不安な国の人々は自国通貨を信じず、金という安定した資産を手に入れようとします。これは世界情勢や景気が不安定な時が最も顕著で、需要が供給を大きく上回り金の価値・価格を高騰させます。金を「不確実な時代における安全資産」とする考え方は、同時多発テロやリーマンショックが発生した2000年代に大きく広まりました。もちろん需要が落ち着き金の価値・価格が下がることもあります。それは、世界景気が好調な時。現在日本を始めリーマンショックから立ち直り景気を回復させる国が増えたことから、金の値動きは安定したものとなりつつあります。
金はその希少性と万能性から世界中で価値が認められ、人々にとって最も信頼できる価値を持つ金属として扱われました。「この品物なら金○分の1と交換」「この労働は金○分の1の働き」といった感じで、金は価値判断の中心に考えられていきます。
金製の硬貨すなわち金貨の誕生です。金製の硬貨であれば万が一国が無くなってしまっても、金と必要な物品を交換すれば移民先の地域で生活ができます。この様な利点や腐食しにくい特性から、紀元前670年頃には既に金を使用したエレクトロン貨という貨幣使われるまでになりました。
やがて金への信頼性は個人に留まらず、金の保有率=安定した国家という図式が生み出されます。近代になるとこの考え方は更に強まり、1800年代からロシア、イギリス、アメリカなどで多くの金貨が発行され、国際通貨となりました。
しかし、金は希少金属ですので、戦争や恐慌などで多くの人々が同時に金貨を求めると流通システムが上手く機能しなくなるため、金貨を用いた貨幣制度は廃止されました。現在では、金は国際リアルタイム相場によって価値付けされる世界各国の第二の貨幣となっています。
1848年、19世紀のアメリカ・カリフォルニアで偶然砂金が発見されました。このニュースが流れるやいなや、それまで荒涼とした砂漠が広がるだけだったカリフォルニアに、わずか数年でたくさんの人々が押し寄せました。一説によると、集まった人数は10万人以上だったとも言われています。
当時は現代のような交通機関も発達していませんでしたので、カリフォルニアに行く事すら命がけだったそうですが、そこまでして一攫千金を夢見た人々の中で、本当に大儲けできたのは一握りの人だけだったと言われています。
ほとんどの人は、まともに金を取る事もできず、僅かな稼ぎも生活費にすべて消える…そんな過酷な生活だったと言います。その後カリフォルニアには金山も発見され金によって歴史が大きく変わった街だと言えますが、その歴史の影にはこういった報われなかった人々も大勢いたのです。
マルコポーロが「東方見聞録」で日本のことを“黄金の国ジパング”と紹介していますが、その話の元となったのが、平泉世界遺産の1つである中尊寺の金色堂だと言われています。
東方見聞録には「宮殿の屋根は全て黄金でふかれており、宮殿内の道路や部屋の床には、厚さ4センチの純金板がしきつめられ、窓さえ黄金でできている。」と記載されているようです。
しかし実際にはマルコポーロは日本には立ち寄っておらず、東方見聞録で黄金の国と言われたのは、当時の日本が中国との貿易の決済に砂金を用いていたことが関係していると言われています。しかし、この東方見聞録を読んだコロンブスがアジア大陸を目指すなど、黄金の国ジパングは15世紀~17世紀の大航海時代の原動力となったのです。
中尊寺の金色堂を建立したのは、12世紀頃東北を収めていた奥州藤原氏。当時中尊寺のある平泉周辺には、多くの金山が存在していました。その豊富な金が経済力はもちろん、政治力にも影響を与え、奥州藤原氏の繁栄に繋がっていたと言われています。
17世紀になると、鶴子銀山の山師が佐渡に金脈を発見します。これが我が国最大と言われる佐渡金山です。1621年には佐渡で小判の製造も開始されました。明治に入ると政府は佐渡金山を官営化することとし、海外から技師を招いて最先端技術を習得し、近代化に向かいます。1896年には三菱合資会社が所有し採掘を続けますが、1898年に金が枯渇したことによって採掘を中止。300年以上と長い間採掘を続けてきた金山の歴史に幕を閉じることとなりました。
ここで紹介したのは、長い長い金の歴史のほんの一部のエピソードですが、人類の歴史が始まって以来、多くの人々が金に魅了され、翻弄されてきたということを垣間見ることができます。
それと同時に、多くの人が努力を積み重ねてきたからこそ、金をアクセサリーとして楽しんだり、生活を便利にする製品の一部として利用できたりするということも忘れてはいけないのではないでしょうか。
惑星は強大なパワーを持っています。そのなかで大きな原子の核を高熱で溶かして、融合してより大きな原子を作ります。二つの原子が組み合わさってより大きな原子となり、まったく異なる元素となります。このとき、ある値を超えると、さらに大きな元素を生み出します。このときに産まれた元素が銅や亜鉛、そして金なのです。金は多くの重金属と同じく、恒星の核融合の過程で徐々に軽い元素から重い元素が作られていく過程で生まれたとされています。それが新星爆発などで宇宙に飛散し、生み出された金その他の金属を含んだ隕石が、地球に降り注いだとされています。地球はまだ熱く、溶けた鉄は金や白金と共に地球の核の中に融合したと考えられています。金は地球が生まれる前や生まれて間もない頃にもたらされた貴重な金属と言えます。
金色は金独自の色合いです。同じような輝きを持つ貴金属は他にありません。光は赤・青・緑の3原色を持っていますが、金は青色だけを吸収し、赤と緑を反射します。その反射された光が私たちの目に映る黄金色です。金が独自の輝きを放つ理由はこんな光との関係です。金は昔、日本は世界有数の産出国であり、保有高も世界の中でも群を抜いていたようです。
13世紀の東方見聞録によると“黄金の国ジパング”と呼ばれていた時代がありました。「この国ではいたる所で黄金が見つかるため、国人は誰でも莫大な黄金を所有している」、「宮殿は、それこそ純金ずくめでできている」、「この国の宮殿の屋根はすべて黄金でできている」、「床には分厚い黄金が敷かれている」、「黒胡椒も白胡椒もきわめて豊富である」など驚くべき事柄が書かれてヨーロッパには伝われていました。12世紀初頭に奥州藤原氏が奥州平泉に建立した、中尊寺金色堂が話の元となったようです。世界中が日本を目指し中世の大航海が始まりました。金がどこから来たについて違う説もあります。
アルゼンチン、オーストラリア、チリ、スペイン、フランスの学者からなる国際グループの研究です。グラナダ大学(UGR)の参加を得た国際的な科学者グループは2017年11月のネイチャー・コミュニケーションズ誌に掲載されました。地球のマントルでできるという説です。マントルでできたものが、火山の噴火によってマグマとして地表に吹き出ます。マグマが冷えて火成岩になり火成岩に含まれた金が採掘されるという説です。研究者たちは、アルゼンチンのパタゴニアで、特に70キロメートルの深さで、南米大陸の下で見つかった金の最初のレジスタを表す、プロセスの証拠を発見したとされています。
・希少性と需要が高い
金は数ある金属のなかでも採掘総量が少なく、いつの時代も希少性が高いことで知られています。諸説ありますが、これまで採掘された金の量は約18万トンで、オリンピック公式プール3.8杯ほどしかないとされています。また、地中から採掘できる金の埋蔵量は約5万トンしかないとされており、大きな技術革新がない限り希少性の高さは持続すると考えられています。
一方、先述したとおり、金はジュエリーを始め各産業で大きな需要があります。供給と需要の差がいつの時代も大きいため、常に高い価値を保ち続けているのです。
・信用力と流動性がある
金は株やFXなどの投資には必ずある「信用リスク」がないとされています。その理由は「金そのものに価値があるから」です。株式や債券などのペーパー資産は企業や国が発行しており、発行元が破綻してしまうと購入時にどれだけ高額だったとしても、お金は回収できずに紙切れになってしまう可能性があります。
一方、金はそのものに価値があり、それがゼロになることはありません。また、金は世界のどの国でも現金や株式などに変えられる「流動性」も高いのです。金を資産として確保していれば、価値がゼロになることはなく、いつでも現金などに変えられることから「金は信用力が高い」とされているのです。
・20年で金相場が約4倍に上がった理由
株や国債、FXなどの投資物件と比べると安定しているとされている金相場ですが、ここ20年で大幅に上がっています。貴金属の積立事業などを手掛ける田中貴金属工業の調査によると、2000年は1グラム平均1,014円だったのが、2019年には過去最高の4,918円まで上昇しています。その理由は2001年にアメリカで起こった同時多発テロや2008年のリーマン・ショックとされています。いずれも株式などが急落し、信用経済に対する不安が増大。
その結果、信用力が高い実物資産である金の購入が増えて価値が高騰したと考えられています。また、2020年2月に発生した新型コロナウィルスが原因で同年3月に一時1,700ドル(約188,089円)の記録的な高値になるなど、株式などの市場が荒れると相対的に金相場が上がる傾向があります。
金は純度(含有量)によって高度や価値、用途が異なり、日本では純度の高い24金から最も低い10金まで5種類に分けられます(24分率)。それぞれの特徴と、金とその他の混合物の割合を以下でまとめたので確認してください。数字が大きくなるほど金の純度が高くなり、価値も上昇します。主に資産として用いられるのは24金(24K)です。ジュエリーなどの貴金属には加工しやすい18金(18K)の金が使われるなど、それぞれ用途が異なることも覚えておきましょう。
それは金取引、金市場といった、名前の通り金の売買を行う場所についてです。金は換金性があるため、金の売り買いをする専門の取引所が世界各国に存在します。こういった取引はインゴット(バー、延べ棒)が対象と思われがちですが、喜平ネックレスやコインをペンダント状にしたものなど地金であれば問題なく換金できます。大規模取引においてはメイン市場はロンドン、香港、スイスのチューリッヒ、ニューヨークの4大市場。規模の大きさはニューヨークが随一ですが、最も歴史が古いのはロンドンで、1571年設立の王立取引所に端を発します。
現在はドル建てですのでニューヨークの取引所で発表される取引価格がその日の世界水準となりますが、この価格を大きく左右するのが実はロンドン市場。1919年9月12日より5社のディーラーがロスチャイルド社の「黄金の間」に集まって金価格を決定してきました。
ロスチャイルドは撤退しましたが5社の輪番で今なお行われており、現在は日に2回価格決定が出されます。これをフィキシングプライスと呼びます。もちろん取引所は日本にも存在します。東京商品取引所(TOCOM)に集約され金専門の市場ではありませんが、金の取引量は大きく、ニューヨーク、ロンドンと並び3大市場と称されることもあるようです。
取引には「現物取引」と「先物取引」があります。現物取引は売り手と買い手の間で金地金の価値を決定し、現金引換えにて取引する手法のこと。一方で先物取引は売り手と買い手が一定期間後の将来に現物と代金の取引を約束するものです。地金であれば業者でなくても取引に参加することはできますが、金地金が500グラム未満であった場合、ほとんどの会社でバーチャージという手数料を取られます。一般の貴金属買取業者であればこの点は気にする必要はありません。
また、宝石がセッティングされた金地金のジュエリーも取引所では扱えないので注意が必要です。金そのものの重さがわからないため、買い取ってもらえないのです。ジュエリー分野に強い買取店であれば金と併せて宝石の評価もしてくれるので、取引所ではなく信頼できそうな買取店に相談してみることをおすすめいたします。
金がどうしてできたのか?地球上にどうしてあるのか?実は解明されていません。もっとも有力なのは星の爆発によって数十億年前に形成されたと考えられています。原子番号79の元素。元素記号はAu。第11族元素に属する金属元素。難しくなってきたのでわかりやすく簡潔にお話していきます。
惑星は強大なパワーを持っています。そのなかで大きな原子の核を高熱で溶かして、融合してより大きな原子を作ります。二つの原子が組み合わさってより大きな原子となり、まったく異なる元素となります。このとき、ある値を超えると、さらに大きな元素を生み出します。このときに産まれた元素が銅や亜鉛、そして金なのです。金は多くの重金属と同じく、恒星の核融合の過程で徐々に軽い元素から重い元素が作られていく過程で生まれたとされています。それが新星爆発などで宇宙に飛散し、生み出された金その他の金属を含んだ隕石が、地球に降り注いだとされています。地球はまだ熱く、溶けた鉄は金や白金と共に地球の核の中に融合したと考えられています。金は地球が生まれる前や生まれて間もない頃にもたらされた貴重な金属と言えます。
金色は金独自の色合いです。同じような輝きを持つ貴金属は他にありません。光は赤・青・緑の3原色を持っていますが、金は青色だけを吸収し、赤と緑を反射します。その反射された光が私たちの目に映る黄金色です。金が独自の輝きを放つ理由はこんな光との関係です。金は昔、日本は世界有数の産出国であり、保有高も世界の中でも群を抜いていたようです。
13世紀の東方見聞録によると“黄金の国ジパング”と呼ばれていた時代がありました。「この国ではいたる所で黄金が見つかるため、国人は誰でも莫大な黄金を所有している」、「宮殿は、それこそ純金ずくめでできている」、「この国の宮殿の屋根はすべて黄金でできている」、「床には分厚い黄金が敷かれている」、「黒胡椒も白胡椒もきわめて豊富である」など驚くべき事柄が書かれてヨーロッパには伝われていました。12世紀初頭に奥州藤原氏が奥州平泉に建立した、中尊寺金色堂が話の元となったようです。世界中が日本を目指し中世の大航海が始まりました。
1位.アメリカ 8133.5トン
2位.ドイツ 3369.7トン
3位.イタリア 2451.8トン
4位.フランス 2436トン
5位.ロシア 2150.5トン
6位.中国 1874.3トン
7位.スイス 1040トン
8位.日本 765.2トン
9位.オランダ 612.5トン
10位.インド 608.7トン
※ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)2019年4月初め現在資料
現在、金の保有高は日本は世界の8位です。日本は中国の半分以下の保有高です。
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