2023/10/14
コイヌールの歴史はインドのムガル帝国の皇帝バーブルが1526年に書いた「バーブル・ナーマ」の記述です。「コイヌール」は皇帝バーブルが戦利品として手に入れたということになっています。発見された当時の大きさは1000カラットもあったとの話もありますが、定かではありません。一体いつ発見されたのかは、現在でも具体的な内容等はわかっていません。コイヌールを手に入れたものは世界を征服できると言われ、当時インドを支配していた権力者の手に次々わたっていた伝説のダイヤモンドです。しかし、どの王侯のところにも、長くとどまることはなかったそうです。
ムガル帝国はタージマハルの建設で知られるシャー・ジャハーンやアウラングゼーブの治世に最盛期を迎えますが、その後徐々に衰退。1739年にはペルシアがインドを制圧した際、ムガル帝国の王のターバンに隠されていた「コイヌール」をペルシアの王が奪ったのだそうです。ペルシア王はその輝きを見て思わず「コイヌール!」と叫んだと言います。それは光の山という意味でその後、世界で一番古いダイヤモンドはコイヌールという歴史的な名を持つことができました。
コイヌールはこの後もペルシアやインドの権力者の手を転々とし、ムガル帝国から独立したシク王国の手に戻ります。その当時インドにはイギリスが進出しており、シク王国との間に戦争が勃発。これに勝利したイギリスは、1849年に戦後賠償の一部として「コイヌール」を手に入れました。これをきっかけに、当時インド帝国の女帝であったヴィクトリア女王に、献上されることになりました。
- 1310年:カーカティーヤ朝
1310年 - 1316年:アラー・ウッディーン・ハルジー(ハルジー朝)
1316年:シハーブッディーン・ウマル(ハルジー朝)
1316年 - 1320年:クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー(ハルジー朝)
1320年 - 1325年:ギヤースッディーン・トゥグルク(トゥグルク朝)
1325年 - 1351年:ムハンマド・ビン・トゥグルク(トゥグルク朝)
1351年 - 1388年:フィールーズ・シャー・トゥグルク(トゥグルク朝)
1388年 - 1389年:ギヤースッディーン・トゥグルク2世(トゥグルク朝)
1389年 - 1390年:アブー・バクル・シャー(トゥグルク朝)
1390年 - 1394年:ナーシルッディーン・ムハンマド・シャー(トゥグルク朝)
1394年:アラー・ウッディーン・シカンダル・シャー(トゥグルク朝)
1394年 - 1413年:ナーシルッディーン・マフムード・シャー(トゥグルク朝)
1413年 - 1414年:ダウラト・ハーン・ローディー(トゥグルク朝)
1414年 - 1421年:ヒズル・ハーン(サイイド朝)
1421年 - 1434年:ムバーラク・シャー(サイイド朝)
1434年 - 1445年:ムハンマド・シャー(サイイド朝)
1445年 - 1451年:アラー・ウッディーン・アーラム・シャー(サイイド朝)
1451年 - 1489年:バフルール・ローディー(ローディー朝)
1489年 - 1517年:シカンダル・ローディー(ローディー朝)
1517年 - 1526年:イブラーヒーム・ローディー(ローディー朝)
1526年 - 1530年:バーブル(ムガル帝国)
1530年 - 1540年:フマーユーン(ムガル帝国)
1539年 - 1545年:シェール・シャー(スール朝)
1545年 - 1554年:イスラーム・シャー(スール朝)
1554年:フィールーズ・シャー(スール朝)
1554年 - 1555年:ムハンマド・アーディル・シャー(スール朝)
1555年:イブラーヒーム・シャー(スール朝)
1555年:シカンダル・シャー(スール朝)
1556年:アーディル・シャー(スール朝)
1556年 - 1605年:アクバル(ムガル帝国)
1605年 - 1627年:ジャハーンギール(ムガル帝国)
1628年 - 1658年:シャー・ジャハーン(ムガル帝国)
1658年 - 1707年:アウラングゼーブ(ムガル帝国)
1707年 - 1712年:バハードゥル・シャー1世(ムガル帝国)
1712年 - 1713年:ジャハーンダール・シャー(ムガル帝国)
1713年 - 1719年:ファッルフシヤル(ムガル帝国)
1719年:ラフィー・ウッダラジャート(ムガル帝国)
1719年:ラフィー・ウッダウラ(ムガル帝国)
1719年 - 1739年:ムハンマド・シャー(ムガル帝国)
1739年 - 1747年:ナーディル・シャー(アフシャール朝)
1747年 - 1772年:アフマド・シャー・ドゥッラーニー(ドゥッラーニー朝)
1772年 - 1793年:ティムール・シャー・ドゥッラーニー(ドゥッラーニー朝)
1793年 - 1801年:ザマーン・シャー・ドゥッラーニー(ドゥッラーニー朝)
1801年 - 1803年:マフムード・シャー・ドゥッラーニー(ドゥッラーニー朝)
1803年 - 1830年:シュジャー・シャー(ドゥッラーニー朝)
1830年 - 1839年:ランジート・シング(シク王国)
1839年:カラク・シング(シク王国)
1839年 - 1840年:ナウ・ニハール・シング(シク王国)
1840年 - 1841年:チャーンド・カウル(シク王国)
1841年 - 1843年:シェール・シング(シク王国)
1843年 - 1849年:ドゥリープ・シング(シク王国)
1849年 - 1850年:イギリス東インド会社
1850年 - :イギリス王室
その後、ヴィクトリア女王はロンドン万博で「コイヌール」この珍しい大きなダイヤモンドを展示することにしたのです。しかし、観客からは想定外な反応が起こります。展示したのはいいですが、大きさ重視のカットであるインド式のカットだったため、思ったほどの輝きを見せなかったのです。そこで、ヴィクトリア女王はアムステルダムから腕利きの研磨職人を呼び出せ、ダイヤモンドの理想的な形である、ブリリアントカットに研磨し直すことにしたのです。そのため、ダイヤモンドは109カラットになってしまいましたが、輝きは増し、その名声はヨーロッパ中に轟きました。ヴィクトリア女王は研磨し直した「コイヌール」をティアラに飾ったり、ブローチにして身に着けたりなどして愛用したそうです。
インドやペルシアの男性権力者たちには不幸をもたらした「コイヌール」でしたが、ヴィクトリア女王は大英帝国の繁栄を築き上げました。男性には不幸をもたらすダイヤモンドでしたが、女性には幸せをもたらしてくれる。イギリス王室では女性のみが身に着けることができる宝石とされているのは、やはりこの「男性に不幸をもたらす」という言い伝えがあるのではないかと思います。そのことからイギリスでは、代々女性のみが「コイヌール」を着用することとなり、今ではエリザベス皇太后の王冠に収まっていることを見ることができます。
世界で最も古いダイヤモンドと呼ばれるコイヌール。長い歴史の間、誰も長く所有することができず、「不幸をもたらす、呪いの宝石」とも呼ばれるようになりました。現在はイギリスからブリリアントカットに再カットされ、ロンドン塔の展示室でとてもきれいに輝いています。輝きの為に70カラット以上を削り、キラキラした輝きを与え再誕生したコイヌール。ぜひその姿を拝見してみたいですね。
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