2023/11/18
南部鉄器は、岩手県盛岡市周辺で作られている金工品です。江戸時代中期に誕生した伝統工芸品で、南部藩で作られていたことから「南部鉄器」という名前が付けられました。現在の南部鉄器には、伊達藩領の旧水沢市(現在の奥州市)で作られていた鋳物も含まれています。南部鉄器の特徴は、さびにくく長持ちすることや熱が均一に伝わること、保温性に優れていることなどです。鉄器ならではの重量と安定感、ざらりとした独特の風合いも相まって、素朴ながらの美しさも魅力となっています。
南部鉄器の代表ともいえる鉄瓶には、職人によって様々な紋様が施されています。表面がポコポコしたデザインのアラレ紋様は、鉄瓶の表面積を増やす目的で南部鉄器に用いられています。なお、南部鉄器の製品は鉄瓶だけではなく、鍋や風鈴、アクセサリーなども作られています。
南部鉄器は、17世紀中ごろに岩手県南部藩が茶の湯釜を作らせたことが起源です。盛岡は古くから鉄資源が潤沢で鋳物産業に適している地域で、南部藩は鋳物師を招いて鋳物生産を奨励していました。その一方で茶道を推奨していた藩主が、1659年(万治2年)に京都から釜師の初代小泉仁左衛門を呼び寄せて、城下町で湯釜を作らせるようになりました。当時の南部藩が用いるすべての茶の湯釜を作らせ、献上品としての歴史を重ねます。3代目仁左衛門の頃には茶の湯釜を一回り小さくした「南部鉄瓶」が開発され、湯沸かしの道具として広く親しまれるようになりました。
1908年(明治41年)には東北地方を訪れた大正天皇のもとで8代目仁左衛門が南部鉄器を作り、その様子が全国の新聞を通して知らされた出来事がきっかけで知名度を上げています。現在では岩手県の盛岡地区と水沢地区で作られている品が南部鉄器と呼ばれています。
日本の法律でも伝統工芸品として認められていますが、現代日本に生きる人々にとってこのような歴史と伝統を有している工芸品に触れる機会はなかなかありません。例えばお茶わんや筆など毎日使用するものも数多くあるので、気軽に生活の中に伝統工芸品を取り入れることが可能です。こういった生活の中に取り込められる伝統工芸品は、世界でも高い評価を得ています。
そのため日本が好きで伝統工芸品をさりげなく生活の中に取り入れたい人にとっては、とても便利なものといえるでしょう。
ブランド力は、作り手の矜持と技術を守る盾にもなります。エルメスの職人も特級ワインの作り手も、きっと自分たちの仕事に誇りと愛情を持っているはずです。そうでなければ、あんなに人を惹きつけるものが作れるはずがありません。世界の人がその価値を認めるから、作り手にも十分な報酬が支払われる。その結果、職人が誇りを持って仕事に打ち込める環境が整い、さらに良いものが作られる。地域を代表するブランドとそこで働く職人は地元の人の誇りとなり、それにあこがれる若者や子どもたちが出てくる。こうした好循環がブランドとしての強さを確固たるものにしています。
では、日本製のバッグの品質や職人の技術が劣っているのかといえば、そんなことはありません。日本製の上質なバッグは、品質もデザイン面でも、世界のトップブランドにひけをとりません。でも、数百万円でそれを買おうという人はいない。技術や品質で勝ったとしても、ビジネスで負けているのが現状です。工芸品の職人を希望する若者は少なくありません。しかし、その報酬の額を聞くと二の足を踏んでしまう。修業の名目の下に、将来設計が描けないほどの額しかもらえないケースが珍しくないから当然です。
雇用する側も、払えるものなら十分な報酬を支払いたいはずですが、安価な大量生産品に押されて、それもままならない。だから、あとを継がせられない、と言うのです。世界でここにしかないという独特の製造工程や技術力が、作り手の引退とともに消滅していっています。フランスやイタリアに負けないブランド力を築いて、良心のある作り手が誇りを持って仕事に取り組める環境が整えば、エルメスなどと比肩する工芸品ブランドが日本から生まれても何の不思議もありません。成熟期を迎えた日本の稼ぐ道は、政府が力を入れる観光立国ばかりではないはずです。工芸が日本の産業の1つの顔になる可能性は十分にあると考えています。
いかがでしたでしょうか。日本の伝統工芸品というと、主に「和」が浮かぶと思いますが、世界には様々な文化があり、歴史があり、価値観があります。もうこれは価値がないから捨ててしまおう・・・そう考えているものが、もしかしたら世界にとっては貴重な物かもしれません。捨ててしまおうと考える前に、是非一度買取大吉ゆめタウンサンピアン店にいらしてみてはいかがでしょうか。出張査定も好評中!まずはお電話を!
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