コラム詳細

2024/02/17

サンローラン歴史

「サンローラン」ブランドの歴史

サンローランの生みの親、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)は仏領アルジェリアの中流階級の両親のもとに生まれます。小さいときから母親のドレスに興味を持つほど美意識が高く、17歳でパリクチュール組合学校(L’Ecole de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)に入学します。在学中に手掛けたカクテルドレスはデザインコンクールのドレス部門で最優秀賞を受賞します。ちなみにこのドレスを縫製したのはのちに「ジバンシー」を設立するユベール・ド・ジバンシーであり、この時の毛皮部門の最優秀賞を受賞したのがシャネルやフェンディを手掛けたカール・ラガーフェルドでした。

このときにイヴの才能に目を付けたのが、コンクールの審査員でVOGUEディレクターであったミシェル・デブリュノフで、クリスチャン・ディオールと同じラインを描くイヴをムッシュ・ディオールに引き合わせます。イヴはメゾンディオールでもその才能を発揮し、ムッシュもその才能を認めていました。そんな中ムッシュクリスチャン・ディオールがディオールの最盛期の只中で急逝してしまいます。1958年若干21歳という若さで彼の後継者となったイヴは、斬新なトラペーズ=台形ラインを発表し、このコレクションは大成功をおさめ、イヴの手掛けるディオールも爆発的な人気となりました。

ところが、故郷アルジェリアでフランスからの独立戦争が勃発します。この戦争に徴兵されたイヴはディオールの主任デザイナーの座を追われ、また従軍のストレスで精神を病んでしまいます。兵役を終え病気から快復したイヴは、1961年パートナーのピエール・ベルジェとアメリカの実業家マック・ロビンソンの支援の下にオートクチュールメゾン「イヴ・サンローラン」を立ち上げます。イヴは今のファッションにも影響を色濃く残すクリエーションの数々を世に送り出します。オランダの画家ピエド・モンドリアンの抽象画に着想を得た「モンドリアンルック」や男性用タキシードを女性に届けた「スモーキング」、透ける素材を先駆けてデザインに取り込んだ「シースルールック」や狩猟時の服装をエレガントに変換した「サファリルック」などその功績は枚挙に暇がありません。

また1966年にはオートクチュール(高級オーダーメイド)だけでなく、プレタポルテ(高級既製服)のライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」も展開。リヴ・ゴーシュrive gaucheはパリ左岸の意味で、高級店が軒を連ねるリヴドワット(=パリ右岸)ではなく、ユースカルチャーが盛んな左岸に敢えてブティックを構えたことを象徴しています。リヴ・ゴーシュによって新たな顧客層も取り込んだイヴ・サンローランのブランドとしての人気は最高潮に達し、イヴ自身も1985年にフランスの最高勲章レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ、1993年にデ・ドール賞(金の指抜き賞)を授与されます。

イヴ・サンローランは2002年のオートクチュールコレクションを最後に、デザイナーを引退し、オートクチュール部門も終了します。2008年イヴはこの世を去りますがフランス中が別れを惜しみました。モード史に今もなお燦然と輝く彼の功績をたたえ、人はイヴ・サンローランを「モードの帝王」と呼ぶのです。イヴ・サンローランが引退した後、「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」はランバンを蘇らせたしたアルベール・エルバス、グッチ再建の立役者トムフォードや、イタリアのグランメゾンを渡り歩いたステファノ・ピラーティなどのデザイナーによって手掛けられてきました。

そして2012年、エディ・スリマンがデザイナーに就任します。エディは1997年にもリヴ・ゴーシュのメンズラインを手がけましたが、その後のディオール・オムを立上から手掛けて、タイトなシルエットでロックミュージックにインスピレーションを得たスタイルを打ち出し、一躍時代の寵児となりました。エディはイヴ・サンローランのディレクターに就任しブランド名「Yves Saint Laurent Rive Gauche」を「SAINT LAURENT PARIS」に変更します。これは創業者のイヴ・サンローランが従来のオートクチュール(オーダーメイド)ラインに加えて、プレタポルテ(既製服)ライン「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」を左岸に開いたことをエディなりに解釈した考えでした。つまり、イヴ・サンローランがプレタポルテの原点として新たな名前でブランドを始めたことになぞらえて、名前を一新することでメゾンの原点に立ち返りつつも、エディが新たなるクリエーションを展開していくというメッセージが込められたようです。この変更には批判的な声も少なくありませんでしたが、唯一無二の世界観でブランドに新風を吹き込み、ブランドイメージを刷新します。エディ・スリマンは「エディ信者」に惜しまれつつも2016年にサンローランを去り、現在はセリーヌでその世界を創り上げています。

現在サンローランは、「フェンディ」、ヴェルサーチのセカンドライン「ヴェルサス」や自身のブランドを手掛けてきたアンソニー・ヴァカレロが、クリエイティブ・ディレクターに就任しています。彼はエディのロックでタイトなシルエットを、自身の得意とするエッヂのきいたエレガンスにうまく汲みこみ、サンローランのテイストとしてさらに発展させたクリエーションを展開しています。エディ期に姿を消した、ブランドの象徴的なロゴであるカッサンドラをデザインに呼び戻し、服だけでなく食器やアートオブジェ、スケートボードなど、幅広いアートクリエーションを展開する「サンローラン リヴ・ドロワ(SAINT LAURENT RIVE DROITE)」を始動させています。

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